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「絵を描く理由を知りたい」(上)  片山侑胤

言葉との出会いを手がかりに



 絵を描くことが好きだった私が、日本画に興味を持ち始めた10代半ばから還暦を過ぎた今もまだ描き続けているのはなぜなのか。もしかすると、これは私一人の問題ではないようにも思うので考えていたことを書かせていただきます。

 

 絵を描くことを抜きにしては、私の生活そのものが成り立たないんじゃないか、と根拠のない確信を持っていたのは何もわかっていない20才の頃でした。絵を生活の中心に置いて描き続けるということは、社会人として生活をすることとは少し違って、よほど恵まれた環境にある人でない限りどうしても不安定になりがちです。

 

 私が日本画に出会った1970年代には、小野竹喬や東山魁夷、奥村土牛など日本画の大家がいました。1980年代後期には画商が待ちかまえていたというバブルがあり、そしてさまざまなメディアが発達した2000年代を経て、『美術』という名称そのものが時代から押し出され、ビジネスと相性の良い『アート』が膨らんできた21世紀という時代を生きてきたことになります。そのような状況下で、絵を描き、発表するということは私にとってどういうことなのか、ただ好きだから描くというだけでいいのだろうかという疑問を悩みの種として明確な答えを出せないまま時間が過ぎていきました。

 

 私が学んだ日本画は、観察による発見を元に考察を重ね制作する明治以降の京都の『日本画』です。写生を怠らず、作者の発見とはどういうものかを昇華し一枚の絵として提示することに他なりません。描かれる絵そのものが目的であり到達点です。それを基礎として応用し製品化するといった展開はありません。そういった意味で『日本画』は永遠の基礎研究だといえるのではないでしょうか。物理や化学の基礎研究であれば、社会に対して便利なものやシステムを提供すること、生命を救うような技術などを多岐にわたり生み出すことができます。苦労の末に埋もれてしまう研究も多々あるとは思いますが、基礎から応用の道が続いていて社会へと還元されていきます。日本画の場合、孤立していく『日本画』から社会に入り込む『アート』へ転じることがない限り、長い時間をかけて制作した一作だとしても、誰にも必要とされなければどこかに眠らせるか廃棄するしかありません。全力で描ききったところで社会の役に立つことや生きていくためのお金に換わる保証さえないのです。

 

 ”アートシーン”の前線へ出て行き成功を夢見る生き方を望むなら、刺激的なコンセプトやウリといった業界でのし上がっていくための戦略が必要なんだろうと思います。日本のみならず世界を視野に入れてどういった活動を展開するかが問われます。社会に対してどのような問題を投げかけるのかとその方法を見つけなければなりません。また注文に応じて自己模倣を繰り返すような方法や、換金を前提とした工業的に生産する方法を選択することもできるわけですが、それらの能力を自分が備え持っているとは思えません。絵は真っ白な画面に自由な発想で一作一作生み出していくものという理想に燃えていた若い頃にはなおさら、他者の望むものを繰り返し描くなどという選択肢はありえませんでした。

(続く)


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