「絵を描く理由を知りたい」(下) 片山侑胤
- 2025年6月15日
- 読了時間: 4分
言葉との出会いを手がかりに

好きだから描くということの何が悪いのかと心で力んでみても、常に頭のどこかで自分の絵が見向きもされずどんどん取り残されているような疎外感から解放されずにいたことも事実です。自分は絵とどのような関わりを持って生きていくつもりなのか、曖昧なままではおてんとさまに申し訳なく思えてきます。そんなとき、絵を描くことを生業にしている人を表わす日本語はひとつではないと気づきました。画家、絵描き、絵師(画師)、作家、カタカナ名称も加えるとすればもっと多くなります。ここに自分が向かう方向性を示す手がかりがあるかもしれないと思えたのです。
ある先輩に問いかけた際、「絵師」という答えが返ってきました。「絵師」は朝廷や幕府に属する絵画制作職人という意味合いが強く、個々に制作活動をすることとは違うことからも、自分はそうではないと直感しました。「画家」というのも少し高尚な感じがして自分にとっては小さな違和感がありました。「作家」は絵を描く人以外に小説家なども含めた広い意味で使えるだけに、自分はとなるとやはり「絵描き」が一番しっくりくるなという気がしました。
そうすると多くの先達は自身をどのように考えていたのか知りたくなってきました。私が最も敬愛する先達のひとり高山辰雄が坂崎乙郎との対談で『絵を考えないようにする、これは絵描きが一番むずかしいんですよ。』と述べています。また『絵描きは手を通して物を見るのかもしれない』という発言もみつけました。
『画家は何時如何なる時も、懐に画帖を持っていなければいけないとの言葉を見た。その言葉は川崎小虎先生の書いた文章であった。』に使われている「画家」は高山自らの言葉ではありません。言葉自体にさほどこだわりはなかったのかもしれませんが、自分はどうありたいかということを考えるには、自分は「画家」か「絵描き」かなどと問うのも無駄はないと思います。敬愛する先達が「絵描き」という言葉を対談の中で一人称として普通に使っているのがちょっと嬉しく思えました。

ひとつの言葉との出会いが曇っていた頭の中を青空へと誘ってくれることがあると知りました。他にも心に留まった言葉はあります。中島義道氏のいう「人生を半分降りる」という捉え方、佐々木閑氏がいう「出家」もそうです。「諦める」という言葉も一般にはいい意味で使われることはめったにないようですが、元の意味は「明らめる」「明らかにする」というように、決して負の意味のみを含んだ言葉ではありません。最近の私にとっては「ネガティブ・ケイパビリティ」がそれです。イギリスの詩人ジョン・キーツが初めて提唱した概念で、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力のことをいうらしいのです。人類はなぜ戦争を繰り返すのか、地球上から争いをなくすことはできるのか、というような問いに対して考え続けることなどをいうのだと私は受けとめました。未来に向かってアクションを起こすという立場から発する強い言葉に比べると、受けとめ方によっては弱い響きをもった言葉のように感じられるかもしれませんが、立ち止まって自分を取り囲む環境をくまなく観察することによって何かの手がかりをたぐり寄せることを可能にする言葉でもあります。
また当然のことですが、作品につけられた題名も貴重な言葉として私を導いてくれます。ピカソが<ゲルニカ>を描き、ゴヤが<戦争の惨禍>に表現しました。そのモチーフが社会に投げかける意義は大きかったはずです。目の前の商品価値や生きるための生産ではなく、作家の胸の奥から湧き出るような気持ちを、大声を出すのでも火炎瓶を投げるのでもなく、絵描きは描かずにはおれないエネルギーとして爆発させていく方法を持っているのだと思います。時代の中で考え、試みる場を持ち続け、苦悩の末にひとつの作品として結実させるものであって、簡単に自分の世界を構築できるような甘いものではなく、また構築を目的とするものでもないと私は考えています。
私にとって「絵とは何か」という問いがどうにも答えの出ない問いであり、それに対して考え描き続けてきましたし、それはこれからも続くのだと思っています。絵を描くことなど個人的な問題であって人類の争いなどとは規模が違いすぎて笑ってしまいますが、私にとっては絵を描き続けていることが「ネガティブ・ケイパビリティ」を実践してきたという小さな自信をもたらしています。背中をドンと押してくれるような強力で前向きな言葉ではなく、ひと掬いの水が乾いたからだに沁み込むような言葉として、私の心身にゆるやかに行き渡り光を灯してくれます。闇雲に走り出すのではなく、立ち止まって俯瞰的に物事を考える時間を得る言葉ゆえに新たな視界を開く可能性をもたらすのです。言葉がすべてを解決してくれる訳ではありませんが、悩んでいたこと、解決できなかったことに対して「それはそもそも解決できないことだよ」というささやきでもあるからこそ、行き詰まった道を解凍されるような瞬間を得て、どうにも対処しようのない事態に耐える力を取り戻すことができるのです。(完)


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